いつの間にか定着していた仕草で爪を噛んだら、欲求不満なんじゃないのと嘲笑われた。
心外な言葉に顔を赤くしてスザクを睨むと、鈍く光る小さな物を投げられる。
思わず条件反射でキャッチすると、それはアルミのタブレットケースだった。
蓋をスライドさせて開けるとキンとしたミントが香り、薬より一回り小さな錠剤が神経質な白でぎっしり並んでいた。
ドアは開かない。誘惑した君が悪いんだよ。
その言いようも無い不愉快だと感じる瞬間は、いつから思うようになったのか。
はたから見たら異常と見られるんだろう神経質なきらいのあるルルーシュは、
週に何度か訪れる男の性である衝動も、言うまでも無く汚らわしいものでしかなかった。
正直に言うと定期的に自身で吐き出す行為を怠ったため、朝起きて面倒な事態になっていることも少なくない。
むしろそれで済ませてしまっている時が多いかもしれない。
それでも目覚めて下着が粘液で湿っている感覚は酷く不快だし、気付いた時にはその行為を果たすようにしている。
今朝スザクに言われた言葉を思い出して、腐った気持ちで舌打ちを打った。
何を想像したわけでもないのに、下腹部に浅ましく溜まる熱。
今日もその周期だったらしい。
『欲求不満なんじゃないの』
図星以外の何者でもなかったから、スザクに対しての理不尽な八つ当たりがふつふつと沸いてきてしまった。
着たままでいた制服のポケットをごそごそと乱暴にまさぐり、小さなアルミケースを指先が探し当てる。
奴にもらったミントタブレットを数個口に含み、ガリリと奥歯で噛み締める。
しかし、素晴らしい爽涼感の効果は空しかった。
何の慰めにもならない。
「……」
バタンとベッドに身を投げる。
シーツの上でだらしなく足先を伸ばし、仰向けに横たわる。
しばらく無気力に白い天井を眺めてみた。
あんなとこに染みなんてあったか。
部屋の角で主張している黒ずんだ影をぼんやり眺めながら、カニの形に似ているなどと思う。
そしてやがてはぁぁぁ、と長い溜息を吐いた。
気を紛らわせるのも失敗に終わったからだ。
気が進まない。全く気が重い。
しかしC.C.がいない今のうちに、手早く済ませてしまう方がいいだろう。
酷く面倒な気持ちでルルーシュはベッドサイドの引き出しを探る。
そこには使い捨てのゴム手袋、もしくはスキンが無造作に入っていた。
どっちでもいいという思いで、先に手に触れた方の手袋を取り出し指をくぐらせる。
指に触れる自らの粘液でさえ酷く汚らわしく思うので、ルルーシュは自身の下肢に直で触れることは排泄時と入浴時など以外では無い。
そんな途方も無い理由から、いつもそれらを使用していた。
女になりたい、とルルーシュは衝動的に思った。
女に性欲はないとは言わないが、男の生理的な現象よりはそれでもやっぱり少ないだろう。
月に一度の月経の憂鬱に耐えるくらい、この行為に比べたら何てこと無い。
それも経験したことがないのだから、一概には言えないが。
ズボンの前をくつろげ下着をずらし、そこだけを晒した何とも即物的な姿で、ルルーシュは機械的な動きで下肢に指を絡めた。
勿論触れるのは薄いゴムの皮膜ごしのぼんやりとした体温。
ルルーシュにとっては普段から生理的現象でしかないこの自慰行為。
不感症なわけではないが、快感を感じ取ることは余りに乏しく、また罪悪感や不快を感じ取ることの比重が余りに高かったため、
それはプラスどころかマイナス。精神的ダメージが重すぎた。
この時間は、ルルーシュにとって全く意味の無い、限りなく無駄に近い行為。
そんな気持ちのまま早く終われと乱暴に手を動かせば動かすほど、駄々をこねるように身体は上手く達することが出来ない。
そのうち乱暴に擦られた粘膜と規則的な動きを繰り返す腕が痛みを訴えてきて、ルルーシュはすっかり面倒になってしまった。
欲求不満結構。
もう、夢精でも何でも勝手にしてくれればいい。
後始末さえ完璧にしてしまえば誰も気付くことも無いだろう。
乱暴な自己完結をして、ルルーシュは萎えてしまった下肢を仕舞い、おざなりに着衣を整えて、手袋を外してダストボックスに投げ込む。
そうしてそのまま目を瞑った時点でやっと気付いた。
ルルーシュの中でいつのまにか性欲より睡眠欲が勝っていたという事を。
*
*
*
学園の片隅、人がいない静かな空間。
朝早くで誰もいない生徒会室でうとうととしていたルルーシュは聞きなれた足音が近づいてくるのに気付いて目を覚ました。
バタンと扉が開き、閉まる音がする。
肩を叩かれて億劫に顔を上げると、そこには予想通りスザクの姿があった。
ルルーシュがおはようと言うと、それには返事もせずにスザクは言った。
「何か昨日より酷い顔してるね」
「そうか」
「僕があげたアレ、効かなかった?」
「…もう放っておいてくれ。何でもないんだから」
昨日の言葉を思い出して再び沸いてくる羞恥と怒り。
ルルーシュはスザクを避けるように椅子から立ち上がり顔を背けた。
嫌に突っかかってくるな。そんなに爪を噛む仕草が気になったんだろうか。
自覚は無かったけど、今度から気をつけるようにしよう。
ぼんやりと思考を回転させる。
向いた先には豪奢な窓枠の細工があり、ガラスを貫いた眩しい光が部屋に何本も線を引いていた。
あぁ。今日はいい天気だ。
暑いんだろうな。嫌だな……。
「おかしいな。軽いけど入ってた筈なのに」
「え?」
全く話が繋がらなかった。
しかしその言葉に何か異常な意図を感じて、ルルーシュは背を向けていた体を慌てて翻す。
スザクの空ろな瞳孔と目が合えば、ルルーシュの胸が言いようの無い感覚に騒いだ。
「ルルーシュ、あれじゃ足りないの?我侭な身体だな」
「スザク……」
目が合ったスザクは、嘲るようにクス、とルルーシュを笑った。
凄く嫌な感じだ。
シンプルなだけに、その表現が実にしっくりときた。
「……何か…」
「うん?」
「何か入っていたのかあのタブレット……」
「まぁ。対したものではないけどね。精神安定剤程度に」
「…何、が…?」
怖い。
聞くのは凄く勇気がいったが、ルルーシュは恐る恐るでも聞いた。
聞かなきゃならなかった。
「軍事機密」
「スザク!」
「そんなに怖い顔しなくてもいいだろ。軍で配給されるドラックだよ。勿論大向けにはされてないけど」
「なっ、何言って、る!」
余りにもスザクの表情には変化が無い。いつもの軽い微笑をたたえてきゅっと上がった口角。
隠し味はチョコレートだよ、なんて言うのと同じ軽さで物騒な単語を乗せたものだから。
ルルーシュは思わずスザクのその薄い唇を凝視してしまう。
聞き間違いか?
そうだ。…そうであってくれ。
「なんて顔してるのルルーシュ。珍しくないだろ?軍で薬物の支給なんて。そういうのなしで正常な神経で戦争なんて出来ないって。殆どの人が狂っちゃうよ」
「ス、ザ…ク…?」
「何。ルルーシュ」
見開いた瞳が閉じることが出来ない。
目の前にいる人物から目が離せないからだ。
知っているはず。誰より知っているはずのその存在が、堰を切ったように奇妙な違和感を齎す。
こいつは誰だ。
乾燥に耐えかねて潤み出した瞳。
その成分である涙が表面張力を割って流れ出した時、ルルーシュの表情がその涙がこいつの目には酷く滑稽に映ったのだろうか。
「馬鹿だねぇ、ルルーシュ」
スザクはケタケタと笑い出した。
驚いたルルーシュの後ろでガタンと椅子が倒れる。
自覚が無いうちにルルーシュはスザクを恐れて身を引いていた。
「欲求不満、解消させてあげようか?」
「……、…っ」
「綺麗で可愛い、可哀想なルルーシュ」
あまりのショックに理性なんてついていかず、ルルーシュは思わずしゃくりあげてしまう。
スザクはそれを哀れそうに見つめた。
そして、緑に血脈が浮く薄い瞼から、舌先でこそぎ落とす様にして涙を拭った。
凍りついた眼差しでその意図を伺えば、スザクはニヤリと笑ってルルーシュの唇を塞いだ。その酷薄な唇で。
ぬるりとした感触で、舌が無理やり歯列を割ってくる。
恐怖で噛み合わないそれは、外側の頤からつかまれ、強引に拓かれて道を作った。
すかさず熱い舌が口腔いっぱいに潜り込んでくる。
舌先で上顎を舐られ、歯列を辿られる。
「う…、ん……っ」
不快で奇妙なその感覚と追いきれない行動の衝撃にくぐもった声だけが洩れていく。
そのささいな拒絶の動きも許せないのか、スザクはルルーシュの柔らかい下唇を強く噛んだ。
「…ッ!」
ビクンと身体が跳ね上がる。
与えられる全てが、常識の範疇を余りに逸脱している。
もはや夢かと、ありえない希望にも縋りたくなってくる。
零れんばかりの朝日の中、人がいないとはいえ学びやである学園の片隅。
密閉された生徒会室で、友人であり男であるスザクにキスされている。
いや、キスではない。これは征服であり侵略だ。
口腔から舐められ、食い破られている。ルルーシュという人格を。
それきり動けなくなってしまったルルーシュを優しく背を撫で抱きしめ、スザクは思う様口腔を蹂躙し、やがて満足したのかようやく口付けを解いた。
間近で視線を射止められ、目を逸らせないでいるルルーシュに、スザクはにっこりと微笑む。
「僕に任せて。大丈夫だから」
殊更優しい口調でそう言いながら、スザクは硬直したルルーシュの前に跪き、得たようにズボンのベルトのバックルを抜き始めた。
丁寧に衣服を下ろし、やがて露わになるルルーシュの下肢に、明らかな意図を持ってスザクの指が触れる。
その衝撃だけでガク、と折れそうになるルルーシュの身体は、即座に窓に押し付けられてしまう。
それを切欠にして、スザクの丁寧だった仕草はまた荒れはじめた。
両手で乱暴に膝頭を抑え、力の行き場を喪失させられる。
そのまま躊躇い無く下肢の粘膜に滑ってきた感触は、間違いなくスザクの唇なんだろう。
敏感な粘膜が、他者の熱い舌先で、唇で濡らされていく。
それを認めたとき、ルルーシュは発狂したように抵抗した。
「ス、ザク止めろ!…ッ汚い!」
「汚くなんてないよ。君に汚いところがあるとしたら、綺麗過ぎるところだね」
くち、と足の間で酷く淫猥な水音が響いた時、鼓膜からも身体からも攻め立てられたルルーシュのその下肢は顕著なほど反応を返してしまった。
忌むべきのその性行為。
なのに、自慰で感じたようなあの吐き気や嫌悪感が今はなかった。
自分ですら汚らわしいその証を、スザクに含ませてしまっているというのに―――!
「いや、いやだ!いや……ッ」
チ、グチュ、クチ…
身を振り捩りなんとか逃れようとしても、体重をかけてぐっと窓に押さえつけられてしまっていては、ろくな動きにもならない。
「んく、ぅっや、あ、あ、あぁッ」
スザクの髪を引っ張って離そうとしても、それは無茶苦茶に乱す動きにしかならない。
神経を鑢でとがれるような、そんなところで感じる他者の接触で、そもそも力が入らない。
「ひぁ……っ」
「気持ち、いい…?可愛い声出しちゃって」
「あ、うっや、や、あー…ッあ」
どうして――どうしてこんなことに。
それより、あぁ、熱くて気が狂ってしまう。
「く、ん、あっ――――…ッ!」
目の前が真っ白に消し飛ぶその瞬間を、ルルーシュは呆気なくスザクの口腔で迎えた。
ビクンビクンと身体を幾度も逸らせ、声にならない悲鳴で喉を焼きながら。
「ん……」
コク、ンとスザクが精を嚥下する音に一気に熱が下り、ルルーシュの顔が蒼ざめる。
「な、何……?どうして、そんな事…」
ショックが強すぎて、喉が痙攣し、上手く声も出せずにいるルルーシュを、スザクは不思議そうに見上げた。
そして、残滓を拭うように、薄い唇を舐める。
スザクの鮮やかに赤い舌が、チラリとルルーシュの目に映る。
酷く攻撃的に。
「う、……っ」
ルルーシュの目には、堪えきれずに涙が溢れ出した。