誰よりも優しい心を持ち、
誰よりも優しい姿をして、
誰よりも澄んだ瞳をした、
キラ……
君が、どうしてそんな罪を負わねばならないのだろう。
どうして……
「霞み行く空、光り射すけれど」
萩原瑛兎
アスランは、僕を優しいと言う。
アスランは、僕の紫の瞳が何よりも澄んで美しいと言う。
その声こそがいつも甘やかな程に優しく、
君の澄んだ翡翠の瞳こそが至上の美しさだろう。
その称賛の言葉は君に向けられるものであって、決して僕のものではない。
だって、僕は。
「この瞳……このいやらしい紫が、人を狂わせるんだよキラ」
そう、何度も何度も。
「あぁ…キラは本当に悪い子だ……欲深い、私の可愛い人形」
蔑まれ、醜い生き物だと、言われ続けて生きてきたんだ。
だから、君のその言葉は君の優しさ故のもの。
アスラン……誰よりも何よりも優しい君の。
僕を思ってついてくれる嘘が、僕にはとても嬉しくて、それが時には酷く残酷に思えた。
長い間ずっと、僕は此処に居た。
時代錯誤もいいところ、西洋のお伽話に出てくるような城のてっぺん、高い塔の上。格子
の張り巡らされた牢獄の中で−−−一人きりで。
そこに訪れるのは、僕を此処に閉じ込めた張本人であるギルバート・デュランダルと、心
優しい幼なじみのアスラン・ザラだけ。
ギルバートは、キラの遺伝子は人を狂わせ、その瞳の色それこそが罪の証だと言ってキラ
を幽閉したのだ。
美しい姿形をして、人を惑わせるあやかしだと。そう造られた遺伝子だと。
キラの瞳が人に現れる筈のない、宝石のように澄んだ紫電の色をしていたから。
心優しく、全てを受け入れて赦してしまう慈悲深いキラの姿は、元より俗に塗れた他の人
間には理解しがたく、なまじ圧倒的な強さもあったが故に、あまりに神々しいが為、後ろ
めたくもあったのか、人々はこれ幸いとキラを忌み嫌い、化け物だ、とキラをあっさりと
隔離した。
かつては戦火の中そのキラに助けられた筈の皆が、異質の存在であるという不安から、キラを見殺しに
したのだ。いけにえといった形で。
大々的にキラというサンプルを手に入れる事の出来たギルバートは、キラを塔の牢獄に幽
閉し、夜ごとキラを苛んでは、口には出来ない辱めを負わせた。
彼もまた、狂っていたのだ。キラの美しさに。その遺伝子に。
そして、その理由を幼い少年に押し付けては、自分の欲を満たしていた。
遺伝子操作実験という名目で、その目的も忘れて、思う様にキラの身体を貧って、痛め尽
くして−−−−
それでも、彼を汚らわしい視線で犯さない者がただ一人だけいた。
それが、アスランだった−−−−
幽閉されるとき、僕を庇う邪魔な存在だった双子の姉弟であるカガリも、父も、母もみんな殺
されてしまった。
僕には、もう、本当にアスランしかいなかった
彼ばかりが、汚らわしい欲に塗れた浮世で、僕にとってのただ一つの光りだった。
なんの未練もない、この世でただ一つ、心を繋ぎ止めている存在。それが彼だっ
た。
「キラ…っキラ…!可哀相に。一人で寂しい思いをしているだろう。痛いことはされてな
いか?辛いことはされてないかい?」
「アスラン…大丈夫。痛くもないし、辛くもないよ」
優しいアスランを心配させたくなくて、僕は必死で嘘を取り繕い、微笑んでみせると、ア
スランは自分が痛みを耐えるような表情をして、格子ごしに僕を見つめる。
「あの人は−−ギルバート・デュランダルは恐ろしい人だ。戦争を名目にキラを掠い、そ
の遺伝子を理由に幽閉するなんて……キラこそが、最大の兵器だなんて、酷い事を言って
民衆を惑わせて……許せない!もう暫くの我慢だ、キラ。すぐに此処から出してあげるか
ら。あの男を殺してすぐに−−−」
「殺すなんて−−−アスランもあの人と同じになってしまう。どうかその綺麗な手を、僕
の為に汚したりしないで。亡くなったカガリに怒られてしまう」
「キラ……俺は綺麗な手なんかじゃない。キラも知ってるじゃないか。もう何人も−−綺
麗なのは、キラ。お前の方だ。そんなお前がどうしてこんな所に閉じ込められなくちゃな
らない?あの人は、あの人のやっている事は間違ってる!ごめんキラ−−俺がもっと早く
に気付いていればこんな事にならずにすんだのに。だから…これ以上増長させる前に、俺
があの人を撃つ。あの人はもう充分罪を犯した」
アスランは頑丈な筈の格子を、よっぽどの力を込めたのか、ガンっと大きく揺らした。
まるで二人を隔てる存在を許さないとでも言うように。
不謹慎にも、その激昂したアスランの姿が、僕には、嬉しかった。
僕の為に心を激しく揺さぶってくれるアスランが、とても愛おしかった。
だけど、同じ分だけ哀しくて。
「アスラン。君があの人を殺したら、じゃあその罪はどうなるの?君の手を秕させるくら
いなら、僕はいっそ死ぬ」
「キラ…っ!」
ガシャ、と再び激しく格子が鳴らされた。
まっすぐにアスランを見れば、彼は言いようのない悲しみに、怒りに、激しく葛藤した表
情で僕を見ていた。
そして、その翡翠の瞳には、一筋の涙が伝っていて。
(あぁ……)
愛おしい人。穢れを知らない、少年のようなその人。
綺麗だと思った。
僕は、こんなにも綺麗な涙を見たことはなかった。
そして、何としても、この人を失いたくないと。そう、思った。
だから……僕は、彼を守りたくて。
「デュランダル議長の言うとおりなのかもしれない…僕は、人を惑わせて、傷つける兵器
なのかもしれない」
「キラ!」
「そうじゃないと言ってくれるなら…だったら……君だけは、汚れないでいて。決して、
壊れないで……お願いアスラン」
僕が祈るようにそう言うと、残酷だと、アスランは嘆き、その場に泣き崩れた。神は、い
ないのかと。
あぁ。残酷なのはこの僕だ。赦してくれ、アスラン。君を傷つけても、僕は君を守りたい。
「皆は、この瞳は悪魔の証だと言うよ…だから、神様も見放すんだって」
「お前は悪魔なんかじゃない!キラ!」
その自虐的な言葉に、泣き崩れた顔をハッと上げて、アスランは僕に叫んだ。
「誰に何を言われようと、自分を蔑むんじゃない!」
「アスラン……」
優しい、優しいアスラン……
「いいか、キラ!そんなに澄んだ綺麗な瞳を、俺は他に知らない!俺を少しでも信用して
くれるなら、二度と自分を悪魔だなんて言わないでくれ!」
アスランの叫び声は室内に呼応し、僕の心を切り裂いた。
僕は、心をわしずかみにされたような苦しさに、一瞬言葉を失う。
涙を耐える事が出来なくて、アスランに背を向けた。
けれど、アスラン
沢山の人が、僕をあの眼差しで苛むんだ。
一瞬の内に狂ってしまうんだ
望んでもいないのに、人は僕が誘うと口を揃えて言う――――妄りがましい、その身体はなんだと。
「キラ……泣いているのか?お前みたいに、心が澄んでいなければその宝石のように綺麗
な瞳は生まれない。覚えておいでキラ。君は心も体も誰より美しい。君は俺が守る
よ。だから…どうか泣かないで」
アスランの心配そうに揺らいだ声にはっとして、僕は咄嗟に気付かれないよう頬に伝った
涙を拭い、微笑みを取り繕って振り向いた。
「泣いてなんていないよ…さぁ、僕は大丈夫だから、何も心配しないで。辛いことなん
て、何もされてないよ…大丈夫。早く、君も戻らなきゃ。デュランダル議長に見つかる
よ」
「キラ……」
また来るから、と何度も振り返り僕の姿を確認しながらアスランは去っていく。
毎日やっとの思いでセキュリティをかい潜り、アスランは僕に会いに来てくれるのだっ
た。
今では、誰もがギルバートの言いなりだから−−−僕に味方をすると、アスランまで捕
まってしまう。
それでもアスランは何とか僕を助けようとしてくれている。
僕は、君を突き放さなければいけない。
君だけは、守りたい。
だから−−−−
だけど、本当は怖いんだアスラン…
此処は、辛くて、痛くて、苦しさに溺れて壊れそうになる。
とてもとても怖くて…
僕に関われば、アスランも殺されてしまう。
そうでなくても、警戒されている筈だ。以前の僕たちをデュランダルは知っているんだか
ら。
離れなくては。
アスランを開放してあげなくては。
だけど。
だけど……アスラン
本当は、ずっと傍にいて欲しいんだ。
君だけが、救いなんだ。
この恐怖から、僕を守ってくれる……
ごめん、ごめんねアスラン…僕、君を守りたいのに
君を守りたいから、君を愛してはいけないのに。
「キラ…痛いかい?でも、私から逃れようとするから」
「……くっ……う」
気付けば、痛みが麻薬のように全身を支配していた。
痛みを訴える全身のその傷の箇所は、赤く、ほの紫の刻印が、所有者を示すように鮮やかな証を白い肌に主張していた。
失跡めいて紅く縦に刻まれたその傷は鞭の痕。
手枷には外そうと暴れれば電磁波が走るように仕組まれていて。
その気が無くても、少しでも身じろげば容赦の無い激しい電磁波が神経の自由を奪った。
「逃げて…なんて…ひ、ぅ……っ」
言葉での抵抗も赦さないというように、ギルバートが唇を奪ってくる。
キリ、と立てられた鋭利な歯列の恐怖に、咽が鳴って。
そのか細い声が、ギルバートの嗜虐心に更なる拍車をかけた。
「逃げようとしただろう?ほら、可哀想に手首が真っ赤に腫上がってしまっている」
「……ッ」
そんな理不尽な台詞に、じんじんと痺れた手首を見つめ、もうそれ以上何も口にはしなかった。
ギルバートの楽しそうに僕を弄るその言葉が、普段と同じ人物とは思えないほどの邪悪な声音をしていたからだ。
「イイコだね……やっと大人しく私を受け入れる気になったのかな」
そんな従順な様子に満足したのか、ギルバートは冷酷な美貌を綺麗に微笑ませて、僕にもう一度口付けてくる。
抵抗する気力すら残っていないから、僕はそれをあっさりと受け入れてしまう己の身の弱さを恨んだ。
「んん……っふ……ぅ」
執拗に絡まされる舌に思わず漏れてしまう声は鼻に抜けて甘く聞こえ、そんな自分の声に泣きたくなったが、そんな暇はない。
口腔をかき回されるぬめる舌に気を取られていれば、しなやかな指先が確かめるように胸元を弄ってきた。
「…ンっ…ぁ……っく……」
そして、触れた胸の尖りに容赦はなく爪が立てられ、激しい衝撃に思わず背が大きく仰け反った。
そして。
「…ッ!」
大きく身じろいだせいで、ガシャンと音を立てる両手首の枷は、迷う間もなく僕を罰した。
身を切るような痺れは、今日何度目のものだったろうか。
頭までもうろうと曖昧になりだして、滲んだ視界を凝らしながら声に鳴らない悲鳴が咽を熱く過ぎる。
「キラ……」
そして、また、今日も。
この甘い、囁く様な恍惚とした声が、僕を縛るのだ。