元気かスザク。

君と別れてもう一ヶ月だ。

そちらと繋がる術も今のところ見つからないので、これからはこの日記に伝えたいことを記そうと思う。
















僕からへ。















まずはこちらの状況だが。
昔から所縁ある貴族に匿ってもらえた。
これで安心とは言えないけれど、しばらくの生活は大丈夫だろう。
邸の人間の態度も、好意的とまでは言えないが、特に害もない。
国に見離された人質、なのに、良くして貰っていると思う。
身に当たる視線も同情からか柔らかなもので、宮殿にいた頃とはまるで違う。
どうにかやっていけそうだ。
しかし当たり前だけど、全てが順調ではないんだ。
ナナリーが君を心配して、毎日沈んでいる。
これには正直参ったよ。上手く誤魔化したと思っていたが、勘が鋭いんだろうな。
しばらくどころかこの先会えるかどうかも分からない状況は、彼女にも伝わってしまったらしい。
それは周りの大人たちから否応無く伝わったことかもしれないが。
とにかく今のところは、必ずいつか会えるからの一点張りで通しているが、いつまで持つかな。

俺だって早く君に会いたい。
寝ても覚めても見えない何かに追われる残像が消えなくて、こんな生き方は一秒でも早く終わりにしたいと思う。
でも仕方ないよな、というか、こちらが悪いんだ。
あんな事を本気でするなんて…
もう俺たちは、本当の本当に何処からも見放されてしまった。

そちらは変わりはないか?
何か悪い事が起こっていないといいんだが。

こちらのせいで君も辛い状況だろうに、愚痴を言ってすまなかった。
こんな事をよりによって君に話すなんて、まだ俺にも覚悟が足らないらしい。
君の無事を祈るよスザク。
それでは、また。










*
*
*









――――スザク。
近頃ナナリーが、君を呼んで泣くんだ。
眠ったと思ったら、うなされて泣いて、必ず君の名前を呼ぶ。
あれから時折そんな風にぐずる日もあったが、それは勿論意識がはっきりしている時だったし、
こんなに酷いのは初めてなんだ。
夢遊病の一種なのだろうか。痛々しくて見ていられない。

それに…少し悔しいんだ。
ナナリーの傍には、ずっと俺がいた。
今までもこれからも、ずっとそうだ。
ナナリーがそんな風に気を病むほど依存していたのは、兄である俺だった筈なのに。
…なんて。妬いてるのか俺は。
俺も少しおかしくなったかな。



スザク、何とかして会える機会が持てたらいいんだが。
早くナナリーを元気にしてやりたい。
俺じゃ駄目なのかな?
いや。そんな問題じゃない。
俺しかいないんだから、何とかしてやらなきゃな。
また情けない事を言ってしまった。許してくれ。

君はどうか、元気でいてくれ。













*
*
*











この日記を開いたのは三年ぶりだ。
というのも、今日突然君に再開したからだ。
それまでこの日記の存在を忘れていたわけではないが、忙しさに感けて見ないふりをしていたのかもしれない。
いくらここに綴っても、君には伝わらない。伝える術を持たないという実感が時間を追うに連れひしひしと感じるようになったから
最初は毎日のように君へ問い掛けた日課も段々と過疎になっていった。


スザク。
君に――いや、お前に会ったのは何年ぶりだろう。
考えるだけでも気が遠くなる。
それにどうだ。
今の俺達は、あの頃のお互いの雰囲気をまるで入れ替えたかのようじゃないか。
お前の余りの変わりように、驚いて一瞬声も出なかったよ。
スザク。お前が変わってしまったのは、やはりあの時起こった何かが原因なのだろう。
そうとしか考えられない。
俺にも話せない事……お前は何を隠してるんだろう。
それがどんな傷なのか。

確かめる勇気が、今はまだない。


それにお前が変わったなどと俺が言うのは、余りにおこがましいかもしれないな。
誰より変わったのは、この俺自身だ。

力を手にした。
世界を無理やり歪ませる力だ。
一度きりと言えど、誰をもの意思を根こそぎ奪う、恐ろしい力。
それが例え、スザク。お前であったとしても…



誓うよスザク。
お前にだけは、この力――”ギアス”は使わない。
使いたくない。
意地であれ、プライドであれ、だ。
C.C.が何と言おうと、俺はお前にだけは使いたくないから。

――あぁ、C.C.というのは、俺に力を与えた不思議な女だ。
とはいえ俺にも語れることが無いくらい、謎に包まれている。
まぁいい。
彼女がお前と出会う日は来ないだろう。
俺がお前に全てを隠しとおせなければ、これは限りではないが。
何だかおかしな事を書いているな。
これはお前へ宛てた日記だった筈なのに、今はお前に話せない事ばかりを綴っている。
この日記をお前が見る日が来るのかは分からないけれど、何故だかそれを少し楽しみにしている自分もいる。
これだから人は愚かだ。まさか自分自身もそうだとは。
今日は驚きの連続で流石に疲れてきた。
それでは、また。












*
*
*











スザク。
今日はお前に謝らねばいけない事がある。
しかも二つも。
一つは、あれほどお前には使わないと言っていた”ギアス”をお前にかけてしまった事だ。
お前の余りの命への執着のなさに、カッとなってしまって。
気づいたら命じてしまっていた。
申し訳ないことをした。俺はお前の意思を捻じ曲げてまでエゴを貫いてしまった。
お前の尊厳を著しく踏みにじった。
本当に最低な事だ。いくら謝っても許されることではない。
それが解っていたのに――

もう一つの罪を告白する。
それが一つ目の罪の元凶といえる。


俺はお前を愛してしまった。












*
*
*









親愛なる、スザクへ。

この日記は、これが最後になるだろう。
思えばそんなに堪え性がないと自負している俺が、よくもまぁこれだけの年月綴ってきた。
それだけお前に執着していたということか。
自分でも嫌になるよ。

友人を超えた、お前にとってはおぞましいであろう感情で。
俺はナナリーよりも余程、お前に依存していた。

お前と離れた時、気が違うほどの不安を覚えた。
そして、お前に再会して。
俺は罪を犯した。
お前の意思を無視して、生きろとギアスをかけた。
その瞬間初めて、この醜悪な恋情に気付かされたんだ。
再会して、纏う雰囲気は目まぐるしく変わっていたというのに
お前の穢れない瞳は少しも変わっていなかった。
どうして今この時の中でそんな綺麗な目をしていられるのだろう。この時代を恨み、ヒトを憎み、呪わずに生きていけるのだろう。
初めて逢った時と、お前は少しも変わらない魂で其処にいた。
スッと背筋を伸ばし、眼前を見据えて、少しの迷いもなく。
それに気付いた俺は――スザクが無性に愛しく、焦がれるのと同じ強さで憎くなっていた。
過ぎる時間の流れで、俺はこんなに手を汚してしまったというのに、スザクは本当に綺麗なまま少しも変わっていなかったのだから。


お前を失くせなかった。物凄く横暴で凶暴な感情で、そう願った。
だから……
だから、命じた。「生きろ」と。
浅はかにも強い豪で。

スザク。
――お前が犯した罪を知っても、其の思いは少しも変わっていないよ。
お前は綺麗だスザク。
俺は最初からスザクの傍には並んでいなかったんだ。
お前は遥か、其の先の光に。
俺はその光の中に自分が行けない事を知り、せめてナナリーだけには連れて行ってやりたくて、
情けなくも今日までお前に縋り付いてきたみたいだ。



話は変わるが、ナナリーがお前に贈り物をしたいというんだ。

其の言葉を、ナナリーはきっと覚えていないだろう。
でも、俺はそれもいいかもしれないと思い始めている。
俺がいなくなれば、お前の苦しみが少しでも消えるかもしれないんだ。
…いや、そんなものももしかしたら言い訳で、俺はただ早く楽になりたいのかもしれないな。

こんな日が来るという事は、お前が――あのランスロットのパイロットだと知ってから、何となく予感していた。
今の気分がどうかと聞かれれば、そうだな。
意外に悪くない。清々しいとすら言えるかも知れない。
スザク。
君はどうだろう。
きっと胸が焼ききれるほど、俺が憎いのではないだろうか。
それが当然だ。
余りにも正しい感情だ。
俺はお前を操り、穢らわしい感情でお前を汚したあまりか、ユーフェミアを殺めた事は、謝らないで通すのだから。
彼女の死は俺にとっても予定外のことだった。
それしか言えない。
もっとも俺の正体にも君はきっと気付いているだろう。
これ以上、何も話すことは無い。
君の思う通りだよスザク。

呆れているか。
俺が憎いか。

スザク。ごめん。
こんなにも自分の存在を悔いた事が、今まであったろうか。
俺がいなければ、こんなに君を傷つけることはなかったろうに。
一体幸せというのは何処に在るんだろう、スザク。



最期に君に、あるものを託します。
俺からの最初で最後の贈り物です。
これで君の傷を、少しでも癒せたら嬉しいのだけれど。
祈るなどしたこともなかった。
神などいないことは小さな頃から悟らされた。だからその行為がいかに無意味かを知っていた。
だけど、今になってその意味が解るよ。
スザク。
この先の君の幸せを、ただただ祈るばかりです。












*
*
*











































ナナリーには、時折時間が消えてしまうときがある。
ある一瞬を境に、その時自分が何をしていたのかさっぱり思い出せない事があるのだ。
幼い頃、兄が傍にいなくなると、よく起こったその不思議な時間。
最近はずっとなかったのに。
彼女は手にしたプレゼントの鍵を、小さな手の平で握り締める。
冷たく硬いその銅の鍵についている小さな宝石を、白い指先で何度も大切に撫でる。
スザクに贈るはずのその大きな箱には、同じ宝石が付いている。
宝箱みたいな箱だと、子供ならゆうに二人は入れた大きさにはしゃぎ、幼い頃兄と中に入って遊んだ事を思い出す。
アッシュフォード家の少女から譲り受けたそのドレス箱は、確かに自分で用意して自分で鍵を閉めたはずなのに、ナナリーにはその中身が解らなかった。
でもいいのだ、と彼女は思った。
本来ならもう一度鍵を開けて、自分で中身を確認するべきだろう。
けれど、大丈夫。この中には彼が”一番欲しいもの”を間違いなく入れた筈なのだ。
ほらもう彼の足音がしてる――早くこのプレゼントを渡さなければ。
出来るだけ早く、とナナリーは思った。そうしなければ、腐ってしまうからと。
ナナリーの部屋のドアが開いた時、ナナリーは自身でも気付かないような声でポツンと呟いた。
「ごめんなさい、お兄さま。でも仕方ないんです。スザクさんが傍にいてくれるには、もうこうするより他になかったんですから……」
愛しています、お兄さま。
でもごめんなさい。わたしはスザクさんをもっと愛してしまった。








*
*
*








スザクが悲痛な慟哭をあげたので、ナナリーはどうしたのかと尋ねた。
ナナリーの世界に光は無い。
だから彼にそんな声をあげさせた光景を、目にすることはなかったのだ。
だからそれきり黙ってしまったスザクに重ねて聞いた。
どうしたのですか、箱には何が入っていたのですかと。

そうして問い掛けても、スザクは壊れたラジオのように、ルルーシュ、と兄の名を繰り返すばかり。
やがて涙を食いしばるようなうめきが聞こえ、ナナリーは慰めたくて背後からスザクの髪に触れた。
ビク、と彼の体が揺れるのを指先に感じる。
大好きなスザクの柔らかい髪をそっと撫で梳かす。

「ナナリー、ナナリー…君は何てこと…っ」
「どうして泣いてるんですか、スザクさん」
ナナリーは彼が衝撃で取りこぼした鍵を拾い上げると、小さく硬質な感触をスザクにもう一度握らせた。
「贈り物です」
「ナナリー!」
「スザクさん…嬉しくなかったですか?中には貴方が一番欲しかったものが入っていたでしょう?私…覚えてないんですけど……」
「…ナナリー君、まさか…そんな覚えていないって本気で言ってるのか!?」
「えぇ…」
「そんな、そんな馬鹿な事!」
「でも、本当なんです。ごめんなさいスザクさん」
「ナナリー…ッ」
「間違っていました?…そんなことないですよね。それだけは何だか解るような気がするんです。貴方が一番欲しかったもの…ちゃんとその箱に入れて、鍵を閉めました」
「…、…っ」
ドサリ、と鈍い音がする。スザクが”それ”を抱きしめて、崩れ落ちる音。
隠し切れない嗚咽がいくつも零れていく。
「スザクさん、スザクさん」
ナナリーは何度も彼を呼んだ。
応えは無かった。
こんな風にスザクが絶句する程、衝撃な贈り物。
スザクが今、一番欲しいもの――。
箱の中には一体何が入っていたのだろう。
「ルルーシュ…、ルルー、シュ…っ」

やがて彼はまた、兄の名を叫び始める。

「スザクさん」
ナナリーはまた、彼を呼ぶ。
返事はなかった。
無視をされたことが悲しいというよりも、その異常な態度が気になって仕方がなかった。
血を流すような悲鳴で、スザクは泣き続けている。
ナナリーの鼻腔に、ふんわりと薔薇の匂いと、いつか嗅いだ物と同じ生臭い匂いが香った。
ドレス箱の方からだ。
そうだ。
ナナリーは贈り物と一緒に、沢山のいい香りがする紅い薔薇を、青いベルベッドの敷地に敷き詰めたのだ。
あの匂いが少しでも消えるように。
幼い頃兄の背中で嗅いだ、血が沸騰したようなあの生臭い嫌な匂いが少しでも紛れるように……。

「スザクさん、」

今度は出来るだけ穏やかに優しく声をかけてみたが、やはり返事はない。
ナナリーは視界でそれを確認することは出来ないが、スザクが依然とその”贈り物”を抱き伏しているのは空気で伝わってきた。
ナナリーは不思議と苛立ちも悲しみもなく、ただ少しでも良いからこっちを振り返ってくれたら良いのにとまるで他人事のように思えただけだった。



ぼんやりとその様子を空気で感じていると、ナナリーの中でふつふつと色んなことが蘇った。

「スザクさん、贈り物は二つあったんでした。これは兄からです」

ナナリーの膝の上でそっと出番を待っていた古ぼけた厚い黒皮の日記を思い出して、彼の手元と思われるあたりに両手で差し出す。
それを受け取り、恐る恐るといった気配でめくられる紙の音。
随分と長い時間をかけてそれをスザクが読み終える頃、ナナリーの中で無くしたと思っていた記憶が明白になっていた。
あまりに残虐で凄惨な光景。しかし哀しいけれど、ナナリーは後悔を感じなかったのだ。
彼女の中で、こうするしか道は残されていなかったのだから。

やがて何かの一文を見つけて、激しく慟哭するスザクの声が窓ガラスを振るわせた。
「スザクさん、見つけたんですか」

恐らくは、兄の本当の気持ち。

「君達は何て愚かなんだ………!」
「でも大変だったんですよ。一生懸命頑張りました。お兄さまも貴方の為だというと、理解してくれて……」
「馬鹿な!」
「…貴方を愛しているんです」
「悪いけど俺は君を愛していない……俺は、僕は、ルルーシュを」
「知っています」
皆まで言わせる前に、ナナリーは冷静な声音でそれを遮った。

ルルーシュはスザクを愛していた。そしてスザクはルルーシュを愛していた。でもナナリーはそんなスザクを愛してしまったのだ。

それぞれの想いは極めて凄惨で最悪な状況を辿り、もう誰にもどうにも出来ない。

スザクは抱きしめていた弱く小さな冷たいそれを、部屋の隅にあるベッドに横たえて立ち上がった。
「ナナリー、君は君のしたことを、理解しているのか?」
「えぇ。思い出しました。ちゃんと…」
「だったら!」
「でも、大丈夫。傍にいてくれますよね。スザクさん」
「ナナリー!」

こんなに怒ったスザクの声を聞いたのは、ナナリーは初めてだった。
しかし、大丈夫。
例えようも無い不思議な安堵感に包まれて、ナナリーはにっこりと微笑む。

「これでずっと、私たちの傍に……ね?」
「……」

静かに窓の外を濡らす気配がした。兄が苦手だった雨が降り始めてきたのだろう。
窓ガラスを経て尚、見事な紅薔薇で咲き乱れる庭から濡らされた腐葉土の匂いがする。
ふと、雨とは違う水の匂いがして、ナナリーはスザクがまた泣いていることを悟った。

「さぁ、スザクさん。お兄さまに誓いの口付けを」


そう、宝物のようにそのドレス箱に入れられていたのは、他でもないルルーシュだった。


柔らかな青いビロードの上に
綺麗な黒の正装をして
紅い紅い薔薇の海に守られるように、甘い死の香りを撒き散らしている。
死の闇に飲まれたというのに、さながらその美しさはアラベスクのようで。




その姿を瞳に映しては、スザクはただただ、涙が零れた。
スザクの涙がルルーシュの蒼白い頬に落ちては、音も無く流れた。
非情なほど、静謐に。

スザクは死して尚美しいその人に、その愛しい人に、震える唇でそっと口付けを落とした。
ナナリーの言うがままに動く自分が酷く滑稽だと感じた。
しかしこの狂気めいた世界で、誰がスザクだけを笑えよう。
初めて征服した厳かな唇。
屍と化したその姿で尚もスザクを魅了してやまない、その愛おしい肉体。
襲う劣情に耐え切れず、その甘く柔らかに翻弄してくる唇に憎しみさえ感じて、スザクは思わず冷たい皮膚を噛み千切った。
すると冷たい皮膚から想像できないようなまだ仄熱い血が、スザクの口腔に流れ出して、スザクは貪るようにその血を舐め啜った。
式で交わされる厳粛な誓いの口付けとはいささかかけ離れた濃密な口付けを、ナナリーは気配で知りながらも穏やかに微笑んでいた。


































Fin.