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ざわざわ、と。
何処か遠い響きで声が響いていた。
一人ではない、それは四、五人の複数のものだと悟る。
声の高さやテンポで、それらが全員男だと解る。
それも、位の高い。
目を開けると、はっきりしない、ぼうっとした視界が広がる。
わんわんと耳鳴りがして、頭痛が特に酷かった。
「目が覚めたみたいだね。気分はどうかね?」
面白がる男の声で問われるが、どうかと言われれば最悪としか言い切れない感想を持ちつつ、ルルーシュは視線だけで辺りを見渡す。
まず、天井が見えていた。
というか、それしか見れる状態になかった。
身体はなまりのように重く、瞼を開けるのさえ精一杯の状態で、それでも目にしているのは天井だという事は確信できた。
どうやらあの噂の幽霊部屋にいるようなのだ。
じっとりと滲むようなあの黒猫の染みが、悠然とルルーシュを見下ろしているのだから。
「……これ、は…」  
これは、何。
何が起きている?
一体、自分が何故こんなところに。
部屋をこっそり覗いて気味の悪い思いをして以来、決して足を踏み入れないようにしていたのに――――。
しかも、どうして身体の自由が利かないのか。
まるで眠り薬でも飲まされたかのように、瞼が重く、身体が言う事を聞かない……。
 そこまで考えて、は、と思い当たる。
先ほどまでルルーシュは始終入り浸っているあの蔵書の間にいた筈だ。
メイドが運んだ紅茶を飲んで、そのカップを叩きつけようとして――――。
「誰が、こんな悪い悪戯を――――」
「悪戯?違うな……アリスゲームだよ。ルルーシュ君」
「アリス…ゲーム……?何、言って……いったいあなた達は…誰なんですか!何でこんな事を…」
 少しずつ不確かだった呂律は回り始めるが、どんなに凝らしても、薄暗い霧の中にいるような視界が晴れない。
空間自体はランプを照らしたような薄明るい光を感じるので、そのせいではない。
これも紅茶に混合されていたであろう薬の効力なのだろう。
「前の玩具が壊れてしまったのでね。私達は退屈していたんだ」
「だから、君の父君が私達の見返りと引き換えに君を与えてくださったのだよ」
 何…?  何を言っているのか、訳が分からない。 言葉の意味が全く理解できない。
「…さ、触るな……っ何をする…!」
ガンガンと鳴り響く耳鳴りの奥で、顔も定かではない男達が、ルルーシュの自由の利かない身体のあちこちに、やがて手を伸ばしてくる。
まだ筋肉がつかず、少女めいた胸の柔らかい肌や、罪深いほどに真っ白な太腿。
そのすべりやかな柔肌を撫で回しながら、そんな事を言っている。
玩具。
壊れた…
代わり……?
「正直に言って、君が素直に従うとは思えなかったのでね。失礼は承知の上、少々紅茶に細工させてもらったんだ」
「ルールは簡単だ。追われるのは兎である君。それを狩るのが私達。敷地は君の育った邸内――――親切だろう?君はこの敷地を知り尽くしている。
君の遊園地みたいなものだ。どれだけ逃げてもいいが、私達は必ず君を捕まえるよ。そして捕まったら最後、哀れな君は私達の生贄だ」
「止めろ……!触るなと言っている…っ……!」
「そう、その目だよ……その高潔で、高貴な…生まれながらの貴公子の君を、組み伏せて、ぐちゃぐちゃに汚してみたい。
君は無自覚だろうが、その目は酷く……征服欲を煽る」
「楽しみだよ。前の玩具より、君のほうがずっと魅力的だ」
さぁ、ゲームの始まりだ。
そんな芝居がかった言葉と共に、身動きの取れないルルーシュの、年端のいかぬ小さな身体に何本もの手が襲い掛かる。
「嫌……!やめ…………っ」
叫ぶ言葉も半ばに、何か吸引式の器具のようなものを口に押し付けられる。
「ん……っうぅ!」
鼻にツンと突き抜ける刺激臭と共に、ぐらりと脳がぶれる感覚がした。
身体が離脱して浮いてしまったのではないかと思った途端に、ガンと地面に叩きつけられるような衝撃を感じる。
そして、急激に上昇する体温。
「ク…っこほっ……なにを…っ」
自分の身体に何が起こっているのかも全く解らない。
あっという間に肌をまとう衣服を全て暴かれていても、ルルーシュには今、天と地がどちらに作用しているのかさえ解らない酷い眩暈に息もつけずにいた。
「悪いものじゃない、気持ちよくなれる薬だよ。これで君も楽しめる……」
 自由が利く限界まで浮かせかけていた上体を押され、ベッドに沈められる。
深く深く、底のない沼に沈められるみたいで、怖くて堪らなかった。
 閉ざされた扉の奥で、得体の知れない薬をかがされて人形のように動けないルルーシュを、何人もの大人達が嬲って楽しんでいく。
ベッドに磔にされたルルーシュに、滲むような熱がねっとりと触れる。
「ルルーシュ君……可愛いよ…」
「……や、めろ…………っ」
自由の利かない呼吸に喘ぎ、もがいていると、その苦しげに歪んだ目じりを舐められる。
 おぞましさに身を震わせれば、その儚い仕草に、より嗜虐の悦びに興奮するその影たち。
「明日もちゃんとゲームに参加したまえ。でないと標的は妹君にかわるよ…」
 そう告げた影は、目の前から次第に形を失い、もう何も感じなくなった。
意識が混濁していき、好き勝手に身体を這い回る手を、心で拒む事も出来なくなっていく。
考えたくも無いが、きっと、母君もそうだったのだろう。
夜な夜な聞こえたすすり泣きも、母君のものだったのだ。
 酷く滑稽な話だった。
今では―――――― 今では、あの染みを、磔にされたベッドから、毎晩見上げている。
自分が拒めば、その標的はナナリーに替わる。だから、逃げる事など出来ない――――。
どんなに隠れてもどんなに走っても必ず捕まり、追った分だけその行為は執拗になる。
開放されても、休める気がせず、ろくに眠れない日が続く。
 場所を構う事もなく、誂えた様に他に人気がない邸内で。 それは、自分の唯一の安らぎ場所であった蔵書間だったり、ワイン蔵だったり、時には庭だったりした。
そして最後には必ず、あの部屋へ連れて行かれる。
自分のちっぽけな身体や心は大人たちの残虐な遊びにどんどん憔悴して、それを関せずその行為は毎晩果たされた。
 死ぬより辛い、屈辱の日々。
この部屋にいるのは、幽霊なんかじゃない……。
幽霊なんか、居なかったのだ。 いたのは、欲望に塗れた貴族達と、哀れな生贄。








 スザクと初めて会った秋が過ぎ、冬が過ぎ、呆れるほどの暑い季節が今年もやってくる。
狂ったような暑さが、熱が、人の欲望をむき出しにする。
 より酷く、そう異常なくらいに。
 母が死んだ九歳の夏。
 ルルーシュは、その哀れなスケープ・ゴートに選ばれたのだった。









「…………ッ!」  
一気に音が襲ってきたような感じだ。
 本当に唐突に意識が覚醒して、ガンッと殴りつけられたみたいに頭が痛んだ。
「…は、……はぁ……はっ……」
 冷や汗が滝のように流れて、無意識の涙と眦で混じっていった。
 何が起こった。
 あの、悪夢のような日々は、果たして現実だったのだろうか。
それとも――――。
「……っぅ……、………っ」
 いつまで自分で記憶を探ってみても、何も見えてはこなかった。
 しかしルルーシュの身を襲う鈍痛は夢にしては余りにも残酷さが過ぎていた。
 今のルルーシュは、真新しいシーツの清潔なベッドに寝かされていて、
目に映る天井もあの忌々しい猫の染みがついたものではなく、見慣れた真っ白な自室の天井だった。
 途方もない、あの恐怖からは開放されたのだ。
だが。
「目が覚めたか、ルルーシュ」
「ッ!」
 現実を確認するように、何度も瞬きを繰り返していたルルーシュは、
宵闇の記憶とデジャブするセリフをいきなり聞かされて、またしても軽い混乱状態に襲われた。
「……クロヴィス、皇子…………!」
声の主へ何とか視線を移すと、
そこには第三皇子クロヴィス・ラ・ブリタニアの姿があった。

 何でこんなところにこの人がいて、ルルーシュの顔を覗き込んでいるのだろう。
「あの連中に最後までされていないだろうな」
「え……な…に……?」
 そして聞かされた、不可解な言葉。
 この人は何を言っているのだろう。
 何を―――――。
「解らないなら、確かめるまでだ。
……お前は私がずっと狙っていたのだ。いくら父君の判断とはいえ、譲ってなるものか――――」
「……っク」  
ルルーシュの意思や心など、まるでないもの同然というように、クロヴィスはルルーシュの言葉など待たずに強引にその唇を塞いだ。
「んっ!ん……ぅ……っ」
 唇が擦れ合い、かみ殺す勢いで其処を征服される恐怖。
 ルルーシュは余りの事に半ば凍りついてしまって、ただその恐怖と衝撃、痛みを押し付けられる形となる。
 いやに熱い感触に、何かおぞましい記憶を呼び覚まされそうになり、血の気が引く。
 嫌だ!怖い!  本能的な恐怖を察知してやっと身体が微かに動く。
咄嗟に逃れようとするが、それすらも許されない。
クロヴィスの胸を押し返そうとした両手首は無残なほどきつく握り締められ、シーツへ縫いとめられた。
止めて欲しいと必死に拒絶を訴えても、無視される。
ルルーシュの人格など、最初から意に介さないようだ。
「…っん、……く…っ」
 そうこうしているうちに、酸素を求めた不意を付いて、粘膜にぬめる舌が差し込まれる。
生ぬるい感触にうめいても、容易くそれが解かれるはずもない。
顔をそらそうとすれば、柔らかい粘膜に犬歯を立てられた。
「んぅ…っ」
 痛みにビクンと身体が反る。
 ショックに視界がぼやけた。  
頭が理解しきれない事ばかりが起こって、もう、気が違ってしまいそうだ。
 血が繋がっている兄に、唇を舐められている。
奪われるばかりの口付けをされている。

獣が獲物を貪るみたいな。