少年K-Sample...


少年K





 今では只、知ることが怖い。
 ――――アスラン。
 君はちゃんと僕を忘れて、幸せに生きているだろうか?
 僕をちゃんと憎んでくれているだろうか?




 こんなにも君を僕は忘れられない。
 逢ってはならない、けれど逢いたいと
 もう、それが叶うならどうなってもいいと
 何処かで望み続ける自分の矛盾に惑う。





 アスラン。
 こんな僕を、どうか罰して。










 温かい唇が、冷え切っていた頬に触れた。
次に眦、こめかみ、項、首筋、そしてもう一度頬に。
 ――――泣いて惑うくらいなら、もう全部なかったことにしたかった。
 瞳を閉ざして、気づかないふりをする。
 けれどその唇は、それでも瞼を開けないことに焦れたように僕の唇を塞いだ。
 その唇は―――勝気な行動に反して微かに震えていて。
あぁ……。
僕は何てずるいのだろう。
「アウル……」
  君の気持ちに見えないふりをしたかった。
癒すだけの存在でいたかった。
ただ傍にいて――――何て…綺麗事なのだろう。
僕は結局アウルだけを傷つけて、自分を守ってしまっていた。
「ごめんね……」
「……キラ、なんで謝んの?起こしたのは僕だよ」
 キス、気づかないふりをしたからって、怒るほど子供じゃない。
そういって微笑んだアウルの空色の髪が、凪いだ風に綺麗に散らばる。
そっと開いた瞳の外は、これまでにない穏やかさで、綺麗な世界だった。
ウッドデッキのテラスの向こう側に散らばる、星の砂のような白浜。
瑠璃色の流れに、柔らかい月の光が惜しげもなく満たされている。
それをバッグに微笑む彼は、澄んだ空の色をした髪がとても綺麗で
まるで沙漠の宝石のように眩く、僕には思えた。
「風が冷たくなってきたから―――そろそろ中に入らなくちゃ風邪を引くよ」
「……うん、でも、もう少し」
今日はいつもより気分がいいから、もう少しだけ。と呟いて、カウチの上に敷かれた柔らかいクッションに身を沈めた。
「キラ、僕と寝たくないの?」  拗ねた顔をした少年に違うよと宥めて、満天の星空を仰いだ。
 綺麗なふりをして、本当は血で沢山染まっている、その怖いほどに美しい輝き。
人が穢して、尚光を強める―――あの輝きのいくつが、人の屍なのか、考えるだけで心が悲鳴をあげる。
「星、嫌いなんだよ。確かなのは、砲撃の光だけだ…あの閃光だけが全て壊して、そして全てを守る。それが絶対だから」
  そう言って、アウルが僕の眼前をそっと手の平で塞いだ。そして星から隠すみたいに、ぎゅうっ、と抱きしめてくる。
「……うん。ごめんね。もう、入ろう――――」





 さながら別荘のような空き家を隠れ家にして、幾日が経っただろう。
 海岸沿いに建つそこは、今は戦時中だというのを浮き彫りにするかのごとく誰の管理下にもなく、キラとアウルを外の世界から守ってくれていた。
 まるで絵本に描かれたみたいに儚い世界が、触れたくない、あの紅い世界から。 今現実に起きている事は、僕に様々な感情を渦巻かせていた。
 様々な人間達の感情によって弄ばれ、歪んだ快楽に溺れていた自分が、何処ともしれない空間、この戦時下で奇跡的に残っていた空き家で、息を潜めつつも、安らいでいる事。
 アウルが、自らの立場を無視してまで起こした脱走劇。しかし、アウルはまるで意に介さないように、キラと共に居る事を続けていた。
 何処か後ろめたさが抜けなかった僕にとって、向けられる、無垢な笑顔は、余りにも眩しかった。





「アウル……」
 小さな声で呟くように大切にその名前を呼ぶ。
 そんな僕を、アウルは満面の笑顔で見つめつつ、身体に手を回して密着してきた。
「へへへ……僕の事呼んでくれた」
アウルの佇まいは、かつて脱走する前の姿とは、全くの別人の穏やかな姿だった。
今のアウルは、キラと共に居る事が全てだった。
そんなアウルを、キラは全て受け入れていた。
脳裏に過る、アウルの「母さん…」という言葉が、キラの行動を決めていたのだった。
軍の追跡部隊が、キラ達の捜索に出ている事は想像に難しくない。
でも、この時だけは――――今、アウルとの日々を、失くしてはならないと思った。





「う…うぅ…っ…」
 夜の静寂が破られたのは、アウルの苦しげな呻き声でだった。
「どうしたのアウル……?」
「いや……大丈夫だよ。キラ。少し、身体が冷えちゃったかな?へへ……」
 彼は、何でも無いというように軽薄を装って笑って見せるが、額に浮かんだ汗と顔色から、それは虚勢だというのが明白だった。
又だ。 最近のアウルは、時々身体を震わせる姿が、頻繁に見て取れた。
そして、その度に、自らの身体で、アウルを包みこむように、抱き抱えた。
 そうすることしか、出来なかった。  僕は、あんまりにも無力で、アウルにしてあげられることがなにもない――――。
 ふと、過去の記憶が過る。 アウル達について語っていた軍医の言葉が…。
神様なんていないと思った。
 けれど、願わずにいられなかった。
本当に貴方が、僕達を見て下さるのならば、アウルを、どうか…………。
 彼は――――アウルは。ある一定の期間で「ゆりかご」と呼ばれる蘇生装置を使わなければ、生きていけないと……
そうすることでしか生命を維持できないところまで改造を施されていると……軍医は言っていた。
「アウル……苦しいの…?」
 返事のかわりにきゅう、と寝巻きに着ていたYシャツの裾を掴まれる。
 僕はそれ一枚しか着ていなかったので、細く白い素足が腿まで露骨に捲くれ上がったが、そんなことを気にする余裕はなかった。
「キラ……僕に、触れて…」
「アウル…」
 そっと、指先で彼の額にかかった細い髪をかき上げる。
「怖い、んだ…何処にも行かないで――――」


 縋るような蒼い瞳が僕を見る。
 胸が掴まれた気がした。
 心臓が縛られたみたいに、切ない痛みが四肢に広がる。
「……僕は、何処にも行かない。君の、アウルの傍にずっといるよ」
 今にも泣き出してしまいそうな切ない瞳をした少年を、力のあまり出ない貧弱な体で、精一杯抱きしめた。
 抱きしめたアウルの、自分よりはしっかりとしているが、少年にしても華奢といえる細い肩……。
彼に背負わせてしまった自分という重い宿命の星を思えば、胸が痛んでならない。
「アウル…戻ろう。ネオさんの元へ……僕が謝るから…きっと許してもらうから……」
 だから、辛くなったら僕をいつでも捨てて。負い目なんて感じる必要は全くないから。
 そうそっと囁くと、アウルは怒ったように身を起こした。
「キラをあんな所に置いておけるか!僕はね、キラ。決めたんだよ。あんな所に…決められた場所にいて 当たり前に死ぬんじゃなくて、僕は――キラを守って死にたい」
「死ぬなんて……」 「どうせ死ぬなら、ってことだよ。キラを置いて死なないよ。泣くでしょ?キラはさぁ…僕が死んだら、優しいからまた傷つく」
 優しく頬に触れてきながら、真剣な顔つきを、いつもの冗談めかした微笑に隠す。
 アウルは――自分の定めを知っているのだろうか?残酷な、エクステンデットの仕組みを――――。